★不登校児を持つ親の体験記

 
お蘭の「ママ仲間」の手記@


 お蘭 「娘がフリースクールに通っていますので、同じ立場のママ友がいます。子供を見守る立場として、共感できることもたくさんあるし、励まし合う事もよくありますね。」


  


 私は社会不安障害の高校3年娘の母親です。

 それは、中学1年の夏休みも終わりに近づいたある日、いきなり始まりました。
「学校行かない・・・」
「え? 今何て? どうして? 何かあったの?」
 些細ないじめがきっかけでの不登校、青天の霹靂とはこのことです。

 幼い頃から心配の絶えない子で、幼稚園も小学校の1年もずっと付き添って送り迎えをしていました。でも、毎年あるクラス替えもだんだん動じなくなり、中学に行っても、部活に入り、毎日はりきってがんばっていたので、もう大丈夫かなと思っていた矢先の出来事でした。

 最初の頃は家族で喧嘩もしたし、そのたびに娘はパニック、刃物を自分に向けたこともありました。
 どうして学校に行けないの?なんで?どうして?先生もどうして何もしてくれないの?そんな疑問だらけの毎日でした。

 病院に通院し出したのもその頃で、最初は発達障害だと診断されたのですが、通院するうちに、いじめが原因で、「学校」「集団」がどうしても受け入れられず、結局、社会不安障害、要は対人恐怖症と診断されました。

 でも、学校のことは、自分でどうにかしなくては誰も何もしてくれません。中学の担任に頼みこみ、生徒が少しでもいると車から降りられなかった娘の為に、放課後生徒が誰もいなくなった校舎に連れて行って夜、勉強を見てもらいました。
 そんな状態でしたので、出席日数は全く足りませんでしたが、中間期末のテストは別室で受け、提出物はきちんと出すことでなんとか卒業させてもらえました。

 それから高校はS学園に出会い、先生方も温かく見守ってくれたのですが、学校に行けないのは相変わらずでした。落ち込んだり、荒れたり、そのたびになだめて、ハードルを低く、たくさん、本当にたくさんのことを諦めて、「生きていてくれるだけでいいんだ」という姿勢を貫き、ずっと娘を見守ってきました。

 このまま一番楽しいはずの学生生活を何も体験できないまま終わってしまうのかと落ち込みかけていた2年生の秋、何が彼女を突き動かしたのか・・・修学旅行に行けたんです・・。
長い長い冬が明けた瞬間、それはもう、言葉にならないくらいうれしかったです。
それをきっかけに温めていた何かを少しずつ出して活動し始め、友達もでき、あれだけ親の送り迎えがなければどこにも行けなかった娘が一人で登校できるようになったのです。

 友達や先生のおかげで、対人恐怖と闘ってきた5年は何だったのかと思えるほどどんどん積極的に活動できるようになってきました。
 これから自分の夢を追いかけ、音楽の勉強もしたいという・・
まだまだ不安定なことも多いけど、病院に通院しながら、今までの分を挽回していってほしいと思っています。
 

2012年5月12日掲載

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