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@多摩地区でお得な感覚 -武蔵野台地でフィックスなるライフかな・・・-


 東京都の多摩地区は、ある役人に言わせると三多摩って言う言い方は駄目なんだそうです。いつの時代の多摩か・・・ということで屁理屈あるようで、昭和40年代くらいの感覚にて三多摩・・・とここでは呼びましょう。その寸前まで瑞穂町が埼玉であっったり、今の北区も多摩であった時代もあり、今の23区と島嶼部を除く市部(町も村もありますけど)が三多摩-北多摩、西多摩、南多摩-というのが現代人の一般感覚ですが、役所は許認可権限あって、自他共にエライようですから、島と23区以外としますね。あー、面倒くさい。

 はい、この三多摩、多摩地区ですが、やはり東京の都心部とは違います。
 昔は武州、武蔵の国で、もっと昔は国分寺があり、府中があり、今の都心部は海の中かタヌキ、キツネのすむ荒野でしたから、徳川家康が開発するまではむしろ都心部より偉い地域です。

 もっというと、あきる野市の二宮あたりにはふるーい集落のあとがあり、豪族もこのへんで栄えていて、当時ど田舎の今の23区なんて、水鳥の王国にすぎなかったでしょう。水はけ地帯って感じ。

 東京がエライのは家康様のお陰で、御北条家が見栄を張らずに秀吉の重臣として君臨していれば、今の23区なんてずっと田舎で旧利根川の洪水にばんばんやられ続ける湿地で終わりだったでしょうね。つくづく北条氏政という殿様がジモティ主義のお坊ちゃんだったことが惜しまれます。

 このエリアの英雄は逆賊とか成果を誰かにとられちゃうお人よしが余りに多い。
 古くは平将門・・・・。新田義貞、近藤勇、土方歳三・・・・。地元では英雄ですが、時代的には逆賊にされていますよ。筆者の好きな北条氏照なんて、名将なんですが、北条家のブランドを過信しすぎて最後は切腹なんですから、泣けてしまいます。

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 さて、こんな多摩地区ですが、最近は立地的にやはりいいところかな・・・・と見直しています。
 半径数キロて゜生きているジモティ系の保守層の石頭の感覚は常に時代の後塵であるにしても、立地的には台風に強いし、密集度が緩くて災害時のひなんばしょに恵まれていて、多摩川水系の天然水や伏流やハケからの湧き水あり、2000メートル級の山もあってなんて天然資源に恵まれているのか・・・・と感心します。江戸時代は石灰と天然水に安い材木だけが多摩に求める資源のようで、この時代に立派な殿様がいなかったのが都心部と差をつけられた400年なんでしょうね。北条時代が続けばもっと地道な文化が花開いたはずですから。

 今の時代になって、電気が止まっただけで、クレーマー体質の人が大騒ぎで、物理的に相対的スペースがなく、台地も少ない都心部の危険な立地からするとやはり、多摩エリアは縄文時代からの楽園であると思うのです。なんかもったいないですね。

 電気がどれくらい止まっても生活できるか・・・って結構近未来的には大きな問題が起こるでしょうね。
 筆者が都心部に警戒心あるのは70年サイクルで来る関東の震災がまだ来てないことや、火災になった時にガスに引火した場合の連動した被害とか、簡単な想像だけでも地獄絵が浮かんでしまいます。

 かといって、多摩でビジネスの興隆が進む気配はなし、やはり仕事のために無理して都心へ通う・・・という非効率なスタイルが続いてしまうのかな・・・って感じます。

 
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 もし、本当に多摩地区に誇りを持つなら、近世の歴史以前に遡るほど郷土に対する誇りが生まれるのは必然なんですが、東京の西の市部にいることを「恥ずかしい」なんて心の中に持っているなら、どんなに歴史を掘り下げても誇りは生まれず、このまんまでしょうね。

 都心の人もそうなんですが、多摩地区でも半径数キロだけで生活していて、世の中のイメージをメディアやネットでちまちま調べて簡単に悟っているような人生観が、この素敵なエリアを小さくしているように感じます。密集地が好きでない人ならもっと多摩地区のこれからの正しい姿を考えてもいいんじゃないでしょうか。

 
奥へ行くほど、堂々とした楽しい田舎であることを夢見たりします。たぶん、私が死ぬまでね。
 

多摩地区には頼もしいリーダーが必要だったのでしょう。残念・・・ね。
                                            2018.09.14掲載
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