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B倹約過ぎる・・・・・人。 -金持ちがケチって真実だったらしい???・・・-


 ワタシの身内話で恐縮なのですが、人生も後半を過ぎてくると、生き様や死に様・・・についてつくづく考えてしまうことがあります。

 これは、平成時代中期のことなのですが、お人よしで清貧に人生を送る身内が多いワタクシの縁者の中で、若干の人たちは「富裕層」でありました。

 其のひとりの伯父貴は苦学の末に、税理士、司法書士、公認会計士の資格を取り、若いころからバリバリ仕事をしてひと財産もふた財産も作ってしまった勝ち組の身内でしたね。

 まあ、甥っ子の私は伯父貴の言うことを聞かぬ息子の代わりに可愛がられて、幼いころから富裕層ならではの食事やら、○○オンズクラブのパーティー参加やら、道楽の釣りクラブの仕立て舟での同伴やら、信州の別荘を、好き放題使わせていただいたとか、かなりお世話になっていましたよ。

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 伯父貴はどこへいっても先生、センセイ・・・ともてはやされて、この人は人に頭を下げたことがあるのかしら????というほど、えらソーで、横柄ではないですが、社長だろうが議員だろうが、タメ以下の態度をみたことがなかったです。昔は酒をのんで酔っ払ってもかなり社会が寛容で、伯父貴は酔うと見境なく人にからんだり大声を出すので、お付の少年であったワタシは世間的にはかなり恥ずかしい思いもしました。小学生なのに、ヨッパライの伯父貴と電車でふたりで帰るなんて、ホントに大変でした。人にカラムのですから、ドキドキもんなんですよ。

 ただ、どんなに泥酔しても都心の事務所には絶対に遅刻なんてしない・・・という生真面目さもあり、社会人としては立派だった面もあります。
 昔の冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビやクーラー、高級自家用車なんかに早々恩恵あったのは、この富裕層の伯父貴の寵愛あってのことですよ。銀座のレストランも高級なうな重もみんな伯父貴がらみでした。

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 80代半ばになっても、伯父貴は現役の会計士でした。
 しかし、ある日医者にガンを宣告され、はっきり余命2ヶ月・・・・を告げられ、入院してしまいました。

 ワタシも見舞いに駆けつけましたが、いたって元気で、なにをするにも自分でやる・・・という方針は崩さず、お行儀のよい入院患者でした。

 しかし、ここで疑問あり。部屋は大部屋だし、枕元の湯のみはすし屋さんの景品。
 遺書代わりに書いている手記の紙は、ナースステーションから頂いた反故紙の裏書です。あとふた月の命だっちゅーのに、なんでこんな入院生活してるんだ????・・・・と思いました。

 手記の一部を読ませてもらうと、病院の対応の素晴らしさに感謝しており、早く治して社会復帰したい・・・・と書いていたのですね。

 
私は二度目のお見舞いのときに、知り合いの陶芸作家さんから、麗しい湯呑みを購入して、伯父貴にプレゼントしましたよ。せめて、この素敵な湯呑みでお茶を楽しんで下さい・・・・って気持ちです。

 もちろん、伯父貴は喜んでくれましたが・・・・・・。


 この話には後日談があり、私のプレゼントした高価な湯呑みは、伯父貴の妻(つまりは伯母)が、病院ではもったいないから・・・・とさっさと家に持ち帰ってしまったそうです。

 まあ、伯母も似たもの夫婦で、モッタイナイがいきすぎてる人で、かつて高級店には何度も連れて行ってもらったのですが、なんでここでケチになる????という場面では、貧乏人では想像できない渋ちんぶりを発揮するので、このたびのこともワタシには永遠に謎でありました。

 何が得でなにが損・・・・・。伯父貴は医者の宣告どおり旅立ちましたけれど、血のつながっている甥っ子のワタシにもその価値観は謎のまま年月を重ねております・・・・・。しかし、感情とは不思議なもので、この伯父貴がワタシの多くいる身内のおじの中では一番親しみがあるんですよね。ワタシが変人なのも、この破天荒タイプの伯父貴が影響しているのかもしれないですねー。可愛がってもらった思い出というものは有難いです・・・・。でも、ヘンな人だったぁ・・・・・。
 

未だに謎・・・・・・です。
                                            2018.10.23掲載
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