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昭和時代の若者はとかくエネルギッシュでありました。 多摩地区のとある都立高校の園芸部には、素朴かつ変人である男がひとりで部をしきり、かつマイペースで運営しておりました。 彼は、細身で長身・・・・。黒縁のメガネに特徴がありますが、いたって温厚で、あの時代にしては珍しく、タテシャカイ的発想が皆無で、実にフラットな対人意識があり、先輩だあろうが後輩であろうが、友は友としてフレンドリーに接する、しかし、意思は硬く、そう、実に固い人でした。 校舎の南側の空き地に、ほとんど学校の許可もなく、自力でビニールハウスを建ててしまったのもこの人であります。いろんな野菜を栽培していましたが、園芸部に入る人なんて、あの時代まれでしたから、彼のほかは殆ど帰宅部で、むしろ他の気の合う隠れ部員が出入りしていたのが実態ですね。 この方を仮にHGさんと呼びましょう。 HGさんは、おきて破りのいろんな快挙をやっています。 まあ、このビニールハウスはもちろんですが、さすがに呑気な都立高校でもお叱りされた事件がありました。それは、彼が「公認」状態の当ビニールハウスから、勝手に、せっせと隣接する校舎の教室下まで地下道を掘ってしまったからであります・・・・。 いやあ、やってくれましたね・・・。 このことが学校側にばれて、さすがに叱咤され、それは埋め戻されましたが・・・・。 しかし、HGさんは、なかなかの人望があり、卒業まで、このビニールハウスを根城にやはり変人系の後輩もしっかり確保して、某農業大学に進学されましたよ。 私は、彼との思い出で、ひそかにこのビニールハウスで捨て猫を飼育したことがありました。 みんなでジャックと名をつけて可愛がっていましたけれど、やはりある日学校側で問題になって、どこかに里子に出すことになりました。 こういうときは、私の出番でしたので、知り合いの宣教師がひきとってくれることになり、無事ジャックくんは里子に出されて幸せになりました。 さて、HGさん。大学では水を得た魚として大活躍だったそうです。園芸部の後継者が私の同級生の変人娘KWでしたので、高校を卒業して数年後、同級会でKWにHGさんの消息を尋ねましたら、いつもは張り裂けんばかりの笑顔しかない彼女が急に涙目になってしまったのです。 私は驚いて、事情を聞きましたら、あのくじけないど根性のHGさん、海外青年協力隊としてアフリカにいったんだそうです。・・・・そこで、まさかの事故死・・・・・・!! 彼らしい・・・といえばそうですけれど、何で20代で死んじゃった・・・・・。 彼との思い出の素晴らしさを今も思い出します。いい人は早く死んでは駄目・・・・。と、いつも思います。 |
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2017.04.13掲載 | ||||||||||||
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